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大黒屋 質都城駅前買取センター (質預かり、ブランド買取、質屋) の日記

好奇心+努力+才能=歴史に名を遺す

2023.10.07

皆様こんにちは。
大黒屋質都城駅前店「後田」です。


最近は寒さで早朝に目を覚ます日が続いております。
温度計を見たら18℃。
真夏のエアコンの18℃と、この季節の18℃と、どうしてこんなに感じ方が違うんでしょうかね。
もう半袖短パンで寝るのは辞めることにします。

さて冬の足音がすぐ間近まで聞こえてくる季節にぴったりの物を買取させていただきました。
写真であげさせていただいております、スワロフスキーのクリスタルの置物です。
可愛くて仕方がない。
という事で誠に勝手ながらスワロフスキーの歴史、調べてきました。

スワロフスキー(SWAROVSKI)の創業者である、ダニエル・スワロフスキーは、1862年にオーストリア=ハンガリー帝国(現:チェコ共和国)に、今もチェコの伝統工芸であるボヘミアガラスのガラス職人の息子として生まれました。
若きダニエルは、当時珍しかった電気の博覧会で、その仕組みや可能性に刺激を受け、
1891年に従来よりはるかに精密にクリスタルガラスをカットする電動機械を発明します。

その機械は、クリスタルガラスなどダイヤモンド類似石を指すラインストーンをはじめとしたガラス製品の生産工程において、
従来の手作業によるカッティングや研磨に比べ、機械によるその作業は生産性や品質面においてはるかに向上しました。

また、彼は「誰もが手にすることができるダイヤモンド」のビジョンを掲げ、
クリスタルガラスをよりダイヤモンドに近づけるため邁進します。

そんな、ダニエルが1895年にオーストリアのチロル州にスワロフスキー社を設立し、現在に続くスワロフスキーがスタートします。

1800年代から、ヨーロッパではガラス職人たちが家内工業としてクリスタルガラスをはじめとするラインストーンを生産していましたが、
1800年代後半よりスワロフスキー社は自社工場を設け、ガラス素材から製品加工に至るまでの全ての工程を行うことで量産を成功させ、同時に独自の製法と加工技術により高品質の製品を世の中に広く送り出しました。

やがて、人々がスワロフスキーのクリスタルを触れるようになると、
その美しい輝きと精巧なカットは「スワロフスキー・クリスタル」と呼ばれ、
フランスのヴェルサイユ宮殿、ヨーロッパの歴史的オペラ劇場、アメリカのカーネギーホール など、
数々の有名建築物の装飾品を手がけたり、社交界用のスワロフスキー社のクリスタルやビーズをふんだんに使ったドレスが流行するなど、
スワロフスキーといえばクリスタルガラスの代名詞としてその名が世界に知れ渡りました。

また、1935年にはダニエルの息子ヴィルヘルム・スワロフスキーが、スワロフスキー社の技術を応用し双眼鏡を作ったことから、
精密光学機器メーカーとしてスワロフスキー・オプティック社が設立されます。現在も、双眼鏡やスコープなどを生産し、
スワロフスキー社のロゴが白鳥なのに対し、スワロフスキー・オプティック社は鷹をモチーフにしています。

そんななか、1956年にダニエル・スワロフスキーは亡くなります。
しかし、クリスタルガラスをダイアモンドと並び称される「スワロフスキー・クリスタル」へと押し上げた、
彼の熱い情熱や革新的な技術は、現在もクリスタル製品の世界的リーダーとしてあり続けるために受け継がれています。

好奇心と努力と才能の3つを持ち合わせた結果、現在まで人気が絶えないんでしょうね。
私も死してなお何かしら残せるような人間になってみたいですね。


それでは本日はここえらにて失礼します。
いつか皆様お会いできる日を従業員一同心より御待ちしております。

好奇心+努力+才能=歴史に名を遺す

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